会長挨拶

  平素は、サッカーに対する深い愛情とご理解、ご協力を賜りまして、厚くお礼申し上げます。
  当クラブは、地域社会の発展にサッカーの側面から貢献する活動をクラブ発足時から続けており、田原市を代表するクラブとして地域の皆様に認知されるようになりました。
  この流れの中で、市民クラブとしての性格を色濃いものにし、益々の地域貢献を果たして行く所存です。
  今後とも一層のご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

CONFIASA田原会長  小笠原 有司

クラブ沿革

1994年  チーム発足

2000年  田原町サッカー協会へ登録  「AC BRUXELLA」

2001年  「AC BRUXELLA」→「AC BRUXELA」

2002年  田原2部優勝 1部昇格

2006年  勝利にこだわるチーム 「コンフィアーサ」設立
             田原1部 全勝優勝 8勝

2007年  田原1部 優勝 5勝2分
             東三河選手権 優勝

2008年  田原1部 全優勝 8勝

2009年  東三河サッカー協会へ登録  「コンフィアーサ田原」
             東三河リーグ 2位 9勝1分2敗
             県2部挑戦トーナメント 準決勝敗退

2010年  全国クラブチームサッカー選手権愛知県大会 ベスト4
             東三河リーグ 優勝 13勝1敗
             県2部挑戦トーナメント 1回戦敗退

2011年  第34回愛知県社会人サッカー選手権大会一次Aブロック 優勝
             第34回愛知県社会人サッカー選手権大会二次予選 初戦敗退
             全国クラブチームサッカー選手権愛知県大会 1回戦敗退
             東三河リーグ 2位 9勝1敗2分
             県2部挑戦トーナメント 1回戦敗退
             東三河社会人サッカー選手権大会 準優勝

                        

2017年  メンバーの減少に伴いBRUXELA 1チームにて活動

コンフィアーサ田原について

1994年、田原町(現 田原市)内の高校の同級生であった小笠原・加藤・堀田の三名により設立。 名称を「ASSOSIASIONE CALCIO BRUXELLA 1994」とした。 チーム名称のBRUXELLAとは、ベルギーの首都ブリュッセルを変形させ、 ヨーロッパの中心地をイメージしたクラブに成長したいという意味が込められている。 当時Jリーグが開幕したこともあって、サッカーブームは社会現象にもなっており、 メンバー募集に苦労することはなかった。 同高校にはサッカー部がなく、サッカー好きな同級生に声をかけ続けたことで、 10数名のメンバーが集まった。 しかし、この頃のBRUXELLAは公園でボールを蹴るだけの集まりであり、 とてもクラブとは言い難いものであった。 この黎明期メンバーは、高校卒業と同時に各人の進学によりバラバラとなる。 高校卒業後、地元に残った加藤氏は豊橋市内のチームに加入してサッカー活動を続け、 そのチームが解散すると多くの主力メンバーの引き抜きに成功。大学卒業までの間、 ブリュッセラ復活の日を待った。 引き抜いたメンバーの中には現Aチームの主力である小原氏が含まれている。  小笠原氏が大学を卒業し、田原市に戻ってきた2000年に正式に田原町サッカー協会に加盟。 リーグ戦に参加する。ユニフォームはベルギー代表モデルの赤。 チームカラーである赤色のユニフォームは2年間着用し、その後は白色になり、チーム分割までは青色へと変遷した。 クラブエンブレムは1995年に作成。「のんびり行こう」という意味で亀を採用している。 クラブキャラクターは2001年にデザインされ、「亀のヤンキー」はクラブの小林選手をモデルとして男らしさを表現している。  協会加盟後の2シーズンはメンバーの出入りが激しく、試合に11人集まらない状況が続いたが、 この苦しい時期を乗り越えてきたメンバーのほとんどは現在もクラブに残っている。 伝説的プレーヤーである神谷氏もこの頃のメンバーである。 2001年にクラブの正式名称を「BRUXELLA」から「BRUXELA」に変更し、チームをクラブとして運営するようになる。 田原市内のサッカー普及を主な目的とし、クラブ内でフットサル大会やビーチサッカー大会を積極的に開催する。 常に10年後を見据えた活動を展開してきたことが功を奏し、 登録メンバーが順調に増加した。ブラジル人プレーヤーの獲得や、 ユース部門の整備、練習会場の変更、練習日の増加等、現在のクラブの成功の足がかりとなる転換期であった。 現トップチームの中心選手である川口博之は、この頃は練習生としてサッカーを始めたばかりの青年であった。 今やトップチームのリーダーといえる存在であり、サッカー未経験者を大切にする当クラブの育成プログラムの成功例と言えるだろう。 2002/2003シーズンに田原町2部リーグにおいて優勝を果たし、1部に昇格する。 昇格1年目の1部の壁は高く、結果6位と何とか1部残留するに留まった。 2004/2005シーズンは現Aチームの骨格が出来上がった時期にあたり、2位と健闘。 繰上げではあったが東三河選手権に田原市代表として出場。 貴重な経験を積んだ。   2004/2005シーズン以降、戦績も上昇の一途をたどり全てが順風満帆に見えたが、 クラブ内のメンバー間にサッカーに対する情熱の温度差が表面化するようになり、 メンバーの増加も許容量を超えだしたことから、2チーム体制を実現。 Aチームは「信頼」を意味するCONFIASA、Bチームはクラブの原点に回帰する意味でBRUXELAのままとした。 細心の注意を払いながらAチーム,Bチームへの振り分けを行う。 結果、両チームにとって最良の選択となり、Aチームは東三河有数の強豪チームとして、 またBチームは誰でもサッカーを楽しめる最高のチームとして活動。チーム分割は成功を収めた。 結果、両チームにとって最良の選択となり、Aチームは東三河有数の強豪チームとして、 またBチームは誰でもサッカーを楽しめる最高のチームとして活動。チーム分割は成功を収めた。  2007/2008シーズンにはAチームが東三河選手権大会において悲願の初優勝。 田原市にとっては久々の優勝カップ奪還であった。 また、田原市1部リーグを連覇、トーナメント大会も初優勝するなど、クラブ史上初となるトリプルを達成した。 田原市、豊橋市、蒲郡市、豊川市内の百数十チームの頂点に立ったことで、 今後はこの勢いを維持することが重要となってくる。  2008/2009シーズン開幕には新チーム「VITORIA INGAGGIO ヴィットーリア インガッジョ(勝利の女神募集中の意)」を送り込むこととなった。 同時にフットサルチーム「BRUXELA-FREE STYLE」を設立し、練習生を中心に各種フットサル大会へ積極的に参加する。 CONFIASAはシーズン途中にユニフォームを一新し、クラブの当初カラーである赤を基調にモデルチェンジした。  2009/2010シーズンにはCONFIASAが田原から東三河リーグへと転籍し、 「CONFIASA田原」と改名。BRUXELAグループの市民クラブ化への第一歩を記す。 このシーズンよりCONFIASA田原は愛知県リーグを目指した戦いとなっていく。  同シーズンにはCONFIASAから分離したメンバーを中心とした「BOA SORTE ! (幸運を祈るの意味)」を設立し、 田原リーグにおけるCONFIASAの代替チームとして田原1部リーグからスタート。 チームカラーは当面の間は青色とした。 これによりクラブは4チームを保有する県下においても有数な大規模なサッカークラブとなった。 6月6日の理事会において、クラブ名称をトップチームの名称に合わせて「CONFIASA田原」へと変更。将来を見据えたクラブ運営が始まった。 また、女子フットサルチームとして「Atmosphere」を設立し、クラブの華として活動している。 同シーズンにおいてトップチームが東三河リーグ2位の成績をおさめ、 県リーグ挑戦トーナメントに出場。準決勝で敗退したが、県内にその名を轟かせた。   将来的には少年チーム、豊橋支部等が設立される予定となっている。 クラブ創立から現在までで、クラブに登録してきたメンバーは100人以上いる。 この草サッカーのレベルを超えた我々の目指すべき場所はもっと高みにある。